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福岡地方裁判所 昭和41年(わ)712号 判決 1968年2月19日

被告人 宗武司こと宗武

主文

被告人を懲役一三年に処する。

未決勾留日数中二五〇日を右刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、福岡市旧柳町で生まれ、両親に養育されていたが小学校三年生の頃両親の別居に伴い母に連れられて兄姉とともに福岡県田川市に転居し、昭和三〇年三月同市内の中学校を卒業し、その後間もない頃から素行不良となり初等少年院、特別少年院へ各一回入院し、窃盗・傷害罪等により四回懲役刑に処せられていずれも服役し、昭和四一年七月一九日に最後の刑を終えて出所したものであり、その間服役していない時は、岐阜市で工事人夫をしたり福岡市内でトラツクの助手やバーテンをして働いていたこともあつたがその余は殆んど仕事に就かず右市内でブラブラして過ごしていたものであるが、

第一、時逆のぼる昭和三七年二月頃、同市春吉二丁目三街区一五号にあつた、男性が女装して客を接待する飲食店いわゆるゲイバー「ニユー花蝶」に飲みに行つた際同店で女装の男ホステスとして働いていた大森孝(本件犯行当時四四年)と知り合い、その頃から、右飲食店のあつた建物の二階の第一アパートの一室の同人方に同居するようになつたが、そのうち右両名は同性愛の仲におちいり、変態的な情交関係まで結ぶに至つた。ところが、被告人が昭和四〇年九月頃、これより先昭和三八年頃知り合つた金子京子と同市下辻の堂町で同棲するようになり、入所中の昭和四一年六月頃、正式に同女との婚姻届をするに至つたため、大森孝は被告人と京子の二人を嫉妬し、このため被告人と大森との間は、被告人の出所後も相互に自宅を訪問するなどの交際はあつたものの、しばしば喧嘩口論に及ぶ状態であつたところ、被告人は、

(一)  同年九月一五日午後二時頃、前記第一アパート二階二一一号室の大森孝(当時は福岡市内で男娼をしていた)を訪ね、ともに銭湯へ行き、右室内において食事をしたりFM放送を聞いたりなどして同日午後六時頃に至つたところ、大森が被告人に情交関係を求めてきたので、被告人においてこれを断わるや、大森が被告人や妻京子のことを口ぎたなく罵り始めたため、当日大森を訪ねる前に博多駅前の酒屋で冷酒四合を飲んでいた被告人は酒の酔いも手伝つて大森の右態度に激昂し、同人の顔面を手で殴つたので格闘となり、大森を右二一一号室内の同人のベツドの上に仰向けに押し倒したところ、同人がベツドの上で暴れながら抵抗すべく起き上ろうとしたので、ここにおいて俄に同人を殺害しようと決意し、同人の身体の上に馬乗りとなり、両手で同人の首を強く絞めつけ、約三分位して同人が窒息状態になつて抵抗する力を失うやその身体を俯伏せの状態に向きかえさせたうえ、同人の頸部を、同室内の鏡台の中にあつた小包用麻紐(昭和四一年押第一六三号の一)一本を八重にしたもので一周し、更にタンスのハンガーにかけてあつた婦人用腰紐(同号の二)を二重にして一周し、もつてそれぞれ緊縛し、よつてその後間もなく同所において同人を頸部圧迫による窒息により死亡させ、

(二)  前記のように大森孝を殺害した後、生前同人の所有物であつたものを窃取して、自己の物とし或いは金に換えようと企て、

(1)  大森を殺害した直後の同日午後六時過頃、前記二一一号室内において、ベツドの枕元にあつた財布の中から同人の所有であつた現金約五、〇七〇円、東芝テレビ一台(同号の七、時価四万円相当)及びセイコー目覚時計一個(同号の四)を、

(2)  妻京子の実弟金子修と共謀のうえ、窃盗の情を知らない阿南惟義に手伝わせて、翌一六日午前一〇時頃、前記室内において、大森の所有であつた東芝ステレオ一台(同号の五、時価七万円相当)を、

(3)  右金子修及び阿南惟義と共謀のうえ、翌一七日午後七時頃、前記室内において、大森の所有であつた東芝扇風機一台(同号の一〇)及びスポーツシヤツ(同号の三)、男物ジヤンバー(同号の九)、女物防寒コート(同号の一一)各一点を

それぞれ窃取し、

第二、鶴田厚と共謀のうえ、昭和四一年九月五日午前五時頃、福岡市祗園町所在レストラン「古蓮」二階において、同所へ行く直前に飲んでいた飲み屋「島津食堂」から右レストランへ同道した萩尾昭(当時二四年)に対し、こもごも「ここの飲み代はお前が払え」「持たんなら時計を抵当に置いていけ」などと要求し、同人がこれを拒むや、鶴田において右萩尾の顔面を手拳で数回殴打し、被告人において、コツプに入つた飲みかけのビールを右萩尾の顔にひつかけるなどして、同人をしてもし右要求に応じなければ更にいかなる危害を加えられるかもしれない旨畏怖させ、よつて即時同所において、鶴田において、右萩尾がなされるままに任せているのに乗じて、男物腕時計一個(時価四、〇〇〇円相当)を、同人の腕からはずし取つてこれを喝取し

たものである。

(証拠の標目)<省略>

(事後強盗致死の訴因に対し殺人と窃盗の併合罪と認定した理由)

本件事後強盗致死の公訴事実の要旨は、被告人は昭和四一年九月一五日午後六時頃福岡市春吉二丁目三街区一五号第一アパート二一一号室大森孝(当時四四年)方において同人所有のテレビ一台を窃取しようとしてテレビのコードをコンセントから外している際帰宅した同人にこれを発見されたので逮捕を免れるため同人の背後から両手で抱きつき寝台に突き倒したところ同人が起き上つて抵抗しようとしたので俄に殺意を起こし同人に馬乗りとなりその頸部を両手で力まかせに絞め、更に小包用麻紐、婦人用腰紐で強く頸部を緊縛し同所において同人を絞頸による窒息により殺害したうえ同人所有の現金約五、〇七〇円外テレビ一台(時価四万円相当)目覚時計一個(時価五〇〇円相当)を強取したものである、というのである。

これに対し被告人及び弁護人は、本件は殺人と占有離脱物横領である旨主張するのであつて、その要旨は、被告人と被害者大森とはかねて同性愛の関係にあつたが、被告人がこの関係を清算すべく現在の妻京子と結婚したので、大森はこれを嫉妬していた。事件当日の昼過頃、被告人は、大森の居住するアパートに訪れ一緒に銭湯に行き、食事をしたが、その後大森から肉体関係を迫られたのに、これを拒絶したことから喧嘩口論となり夢中で同人を手で絞め殺し、一旦自宅に帰つたが、被害者が蘇生すれば被告人の犯行が露見するので現場に引き返して改めて頸部を紐で絞めたうえ現金、テレビ及び目覚時計(但しテレビは被告人のものであると主張している)をもち帰つたものであつて、本件公訴事実の如く被告人が大森所有のテレビを窃取しようとした現場を同人に発見されたので逮捕を免れるために同人を殺害したものではないというのである。

当裁判所は強盗致死の一罪として起訴された右公訴事実を殺人と窃盗の併合罪として認定したので、以下その理由を説明する。

一、本件にあらわれたすべての証拠、なかんずく前掲証拠の標目中判示第一の事実に関する証拠(但し判示第一(二)の(2) 、(3) に関する証拠は除く)によれば、本件公訴事実中、被告人が判示のとおり大森孝を殺害したこと、その直後被告人が判示大森孝の居室において同人所有の現金約五、〇七〇円、ポータブルテレビ一台及びセイコー目覚時計一個を持ち帰つたことは明らかにこれを認めることができるのである。

二、そこで、被告人が窃盗の実行に着手した際大森孝に発見されたので逮捕を免れるため同人を死に致したものかどうかについて証拠関係を検討してみるに、本件証拠のうちこの点の直接証拠としては、被告人の検察官に対する昭和四一年九月二七日付供述調書三項中被告人の「昭和四一年九月一五日午後二時頃大森方を訪ね二人で近くの銭湯に行つて帰り、二人で食事をしてから大森が午後四時半過頃私に『一寸外出してくるから留守番を頼む』と云つて出て行きました。私はいよいよ家財道具を盗んでやろうと思つて先づテレビを盗もうとしてテレビのコードをコンセントからはずしてそのコードを巻きテレビを包む風呂敷を探すためタンスの抽出を開けております時外出したはずの大森が帰つて来て私がテレビを盗もうとしているのを見つかつてしまいました。この間五分位だつたと思います。大森は部屋で私に『あんた俺のテレビを持出すつもりだったんだろう警察を呼んで来る』と云つて出て行こうとしました。そこで私は部屋を出て行こうとしている大森の背後から両手でだきつき『警察に届出るのだけは止めてくれ』と頼みましたが大森は大変興奮して私を振り離そうとするので双方がもつれ合い私は大森さんをベツドの上に仰向けに押し倒しました。ところが更に起き上ろうとするので私はベツドの上に上つて大森の体に馬乗りになりこうなつたら大森を殺してやろうと思つて大森の首を両手で絞めあげました、(中略)、そして更に蘇生を恐れて紐で頸部を絞め云々」という供述記載があり、被告人の司法警察員に対する同月一九日付供述調書二通、同月二四日付供述調書中にも概ね右同旨の供述記載がなされている以外にはない。ところが、被告人は当公判において捜査官に対する右供述を翻し、大森の留守中テレビを盗もうとしたという点は虚構の事実であつて、捜査官から金子修や阿南惟義の供述調書を突きつけられて詰問された結果やむをえず事実に反する供述をした旨供述しているので、被告人が大森の留守中テレビを盗ろうとした事実の有無について更に仔細に審究するに、

(イ)  司法警察員作成の実況見分調書、司法警察員作成の鑑識写真撮影報告書および被告人の当公廷における供述(六九三丁裏)を総合すれば、大森が殺された時の服装は、ピンクのシユミーズに白パンツ姿で、頭には女装用のかつらを被つており、その足元にはピンクのネグリジエがひつかかつていた事実が認められるのであつて、これは動かし難い事実である。

(ロ)  被告人は捜査官に対して、大森が午後四時半頃一寸外出してくるから留守番を頼むといつて出て行つたので家財道具を盗んでやろうと思つた(被告人の検察官に対する昭和四一年九月二七日付供述調書司法警察員に対する同月一九日付供述調書二通)同人が外出するときの服装は白長ズボンに鼠色半袖シヤツであつた旨供述している(前記司法警察員に対する供述調書、六一〇丁裏)のである。そして被告人の捜査官に対する各供述調書によれば、被告人がテレビのコードをはずしているところ、或はテレビを包むための風呂敷をタンスの中から探している状態のところを外出したとばかり思つていた大森が帰つて来たので、同人に発見され、直ちに喧嘩格闘となり遂に殺したというのである。

果してそうであるとすれば、大森が帰宅し被告人と格闘するに至る間に前記外出着をピンクのシユミーズに着換え女装用かつらを被るなどする時間的余裕は全くなかつたものと考えるほかはない。

また、被告人の司法警察員に対する供述調書(同月一九日付、六〇〇丁)には、「(大森が)外出してから私は直ぐにテレビを盗むためコードを抜いてテレビの裏側に整理しましたが、大森はそのことを最初気がつかなかつた様子で直ぐに着ていた白長ズボン及び半袖シヤツを脱いでタンスの中に入れ、ハンガーに掛けてあつた新品赤色婦人用シユミーズに着替えた」との供述記載があるけれども、前顕実況見分調書によつて明らかな如く、大森孝の居室は一間切りの狭い部屋であるから、もし被告人において窃盗に着手していたとすれば、大森が直ちにそれに気付かないはずはないものと考えられるのであつて、この点からすれば、右供述内容には不自然なものがあり、また被告人は検察官に対して「テレビを包む風呂敷を探すためタンスの抽出を開けておりますとき外出したはずの大森が帰つて来て、私がテレビを盗もうとしているのを見つかつてしまいました」と供述し(同月二七日付供述調書)、前記着換の点につき時間的余裕のあることを認め難い供述をしていること等を考えると、被告人の右供述記載は、大森孝が前記着換えをした事実を認める証拠とすることはできない。

(ハ)  下田隆子の司法巡査に対する供述調書によれば、本件犯行の行われた日の午後四時頃大森孝は赤のシユミーズ姿でベツドの上に寝ころんでいた事実を、福田タツ子の司法警察員に対する供述調書(一〇一丁)によれば右同日午後五時頃大森はネグリジエを着ていた事実をそれぞれ認めることができ、また被告人の当公廷における供述、被告人に対する前科調書によれば、被告人は大森孝の背広を窃取した事犯で懲役八月に処せられ昭和四一年七月一九日出所した事実が認められ、これらの事実に大森の死亡時における前記服装の点を合わせ考えると、大森が午後四時半頃被告人に留守を頼み行き先も告げずに外出したとすることは極めて不自然であり、被告人の前記各供述調書中の「大森が被告人に対し留守を頼んで外出した」旨の記載部分は証拠とするに足らない。そうすると、本件犯行当日被害者大森が被告人に留守を頼んで外出したこと、外出から帰宅して死亡時の服装に着換えをした事実等を認めるに足る証拠は他になく、前顕各証拠を総合すれば、被害者大森は本件犯行日の午後三時半過ぎ銭湯から帰つた後、死亡に至るまで女装姿で被告人と同室していた事実が認められるのであつて、被告人が大森の面前で同人所有の物を盗み出そうとすることは到底考えられず、またこれを認めるに足る証拠はない。結局、被告人が被害者大森の留守中にその所有のテレビを盗むべく着手したところ外出先から帰宅した大森に発見されたので逮捕を免れるため同人を殺害したという訴因事実を認めるに足る証拠はないといわねばならない。

三、なお、本件訴因とは異なるけれども、被告人が強盗の手段として大森を殺害したという単純強盗殺人罪の成否について一応検討を加えるに(もし成立すれば訴因変更の問題が考えられる)、第八回公判調書中の証人金子修の供述部分、被告人の検察官(同月二七日付)および司法警察員(同月一九日付二通)に対する各供述調書、阿南惟義の司法警察員に対する供述調書によれば被告人が本件犯行当時刑務所を出所したばかりで妻の僅かな収入で生活し家賃の支払いや小使銭に窮していたこと、犯行一ケ月前に金子修に対してテレビ、ステレオ等の質入先を依頼していたこと、犯行後極めて迅速に盗品を処理していることが認められるのであつて、これらの事実によれば、被告人が金品強取の犯意をいだいていた可能性のあることを一応考えられないわけではないけれども、被告人と被害者が従前から変態的な同性愛関係にあつたこと、事件当日の犯行前における両名の入浴、食事等平穏な行動、猟奇的な殺害状況等諸般の事情を考え合わせると、前叙各事実は必ずしも強盗の動機として決定的な証拠価値があるものとは認め難く、他に被害者を殺害する前に強盗の犯意があつた事実を認めるに足る証拠がない。

四、以上説示したとおり本件については強盗致死罪の成立を認めることはできないし、被告人は被害者を殺害した直後、その場で同人所有の物品を持出したものであるから占有離脱物の横領ではなく窃盗罪に該るものと判断し、単純殺人と窃盗の併合罪として認定した次第である。

(累犯前科)

被告人は、(1) 昭和三四年一月二九日福岡地方裁判所で窃盗罪により懲役一年以上三年以下に処せられ、昭和三六年一一月一五日右刑の執行を受け終り、(2) 昭和三九年二月一〇日福岡高等裁判所で傷害罪により懲役六月に処せられ、同年六月九日右刑の執行を受け終り、(3) 同年一一月六日福岡地方裁判所で傷害罪により懲役八月に処せられ、昭和四〇年六月五日右刑の執行を受け終り、(4) 同年一二月二八日同地方裁判所で窃盗及び傷害の罪により懲役八月に処せられ、昭和四一年七月一八日右刑の執行を受け終つたものであつて、右の各事実は、検察事務官作成の被告人に対する前科調書によつてこれを認める。

(法令の適用)

被告人の判示第一の(一)の所為は刑法一九九条に、同(二)の(1) ないし(3) の所為はいずれも同法二三五条に(但し、(2) 及び(3) は更に同法六〇条)、判示第二の所為は同法六〇条、二四九条一項に、それぞれ該当するところ、判示第一の(一)の罪については所定刑中有期懲役刑を選択し、前記の前科があるので同法五九条、五六条一項、五七条によりいずれも(但し、判示第一の(一)の罪については同法一四条の制限内で)五犯の加重をし、以上は同法四五条前段の併合罪なので、同法四七条本文、一〇条により重い判示第一の(一)の罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役一三年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数のうち二五〇日を右の刑に算入することとし、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項但書により被告人に負担させないこととする。

なお、判示第一の(二)の(2) 及び(3) の事実については、奪取行為は大森の死後(2) につき約一六時間、(3) につき約四九時間経過しているが、(イ)、被告人自身が大森を殺害した者であること。(ロ)、右犯行当時、大森の住居は、同人が生前起居していた状態のままに置かれてあつたので、大森の生前の占有状態が継続していたものとみるべきであること〔即ち、被害者の居室は、殺害後、被告人によつて施錠され、被告人がその鍵を保管し、本件犯行もその鍵をもつて右部屋の戸を開けてなされたものであつた。被告人の検察官(昭和四一年九月二七日付)及び司法警察員(同月一九日付、但し六〇〇丁)に対する各供述調書〕を考慮して、占有離脱物横領にではなく、窃盗に該るものと判断した。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 藤田哲夫 大西浅雄 川上孝子)

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